おはようございます、今日は織部の日です。

岐阜県土岐市が1988年(昭和63年)に制定。
1599年(慶長4年)のこの日、千利休亡き後の豊臣秀吉の茶頭・古田織部(ふるた おりべ、1543~1615年)が、自分で焼いた茶器を用いて京都・伏見で茶会を開いた。
この器が後に「織部焼」と呼ばれるようになった。昭和に入って当時の織部焼の茶器が土岐市内に点在する窯跡から発掘され、生産地が美濃(現:岐阜県)であったことが確認された。
古田織部について
茶人・古田織部は、本名が古田重然(ふるた しげなり)、安土桃山から江戸時代初期の武将・大名で、織部流茶道の祖。「織部」の名は、壮年期に従五位下・織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来する。
千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。

https://zatsuneta.com/archives/102282.html

おはようございます、モクレンHP制作所担当です。今日は故古田織部が茶会を開いた日です。織部の名前が官位から来ているとは知りませんでした。しかし、織部焼が発掘された窯跡から見つかったという事は、織部焼そのものは伝承されていなかったんでしょうか、それとも伝承されていたが他の場所だったのか…ちょっと謎ですね。Wikiで調べたところでは、生産地は美濃ですが、依頼したのは京都かららしいです。まぁ、織部が元々美濃地方の出身であったことから美濃(土岐市)で生産したものと思われます。
それでは、本日も宜しくお願いします!!!

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