おはようございます。今日は「昭和」改元の日です。

1926年(大正15年/昭和元年)のこの日、大正天皇が崩御され、皇太子であった裕仁(ひろひと)親王が新天皇に即位された。
これと共に新しい元号「昭和」が制定された。「昭和」の由来は、中国最古の歴史書『書経』にある「百姓明、協萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)という一行から上下一文字ずつ取ったもの。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
戦前の旧祝祭日では、大祭日の一つ「大正天皇際」(12月25日)といって大正天皇崩御を祀る日とされていた。
当時、枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。
光文事件について
東京日日新聞(現:毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた。しかし、政府は元号を「昭和」と発表したため、この「特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編集局主幹の城戸元亮(きど もとすけ)は責任をとって辞任した。
「光文」は新元号の候補の中にあり、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため、政府は『昭和』に急遽変更した」という噂が生まれた。

https://zatsuneta.com/archives/112252.html

おはようございます、モクレンHP制作所担当です。世間では今日はクリスマスですが、実は今日は昭和になった日です。という事は、昭和元年はほぼ一週間しかない事だったわけです。昭和元年生まれの人はかなり希少であったと考えられます。
毎度新元号は噂になりますが、昭和の場合も色々と案があったみたいですね。なかでも「光文事件」がなかったら、ひょっとしたら昭和は光文だったかもしれないですね。そうすると昭和生まれの担当は光文xx年生まれになって…ということになって元号の略称も「S」ではなくて「K」になったかもしれませんね。新聞社も押さえていたなら号外を出す準備だけしておけばよかったのにと思います。すっぱ抜きは時と場合によりけりの典型的な例ですね。この時点で当時の噂を信じていることになるわけですが(笑)
それでは本日もよろしくお願いいたします!!!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次