おはようございます、今日はシルクロードの日です。

1900年(明治33年)のこの日、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家のスヴェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭(ろうらん)が発見された。
都市国家・楼蘭は、中央アジア・タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部に、かつて存在した塩湖で「さまよえる湖」として知られるロプノールの西岸に位置した。シルクロードの要衝として栄えたが、4世紀頃からロプノールが干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれた。

「シルクロード」(絹の道)とは、古代の中国と西洋を結んだ歴史的な交易路を指す呼称である。絹が中国側の最も重要な交易品であり、この道を通って西方に運ばれたことから名付けられた。

ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとしてシルクロードの名称を用い、これが1938年(昭和13年)に『The Silk Road』の題名で英訳されたことで、その名前が広く知られるようになった。
ユーラシア大陸の東西交流史において重要な役割を果たしたシルクロードは、その一部が2014年(平成26年)に初めて「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録された。

https://zatsuneta.com/archives/103281.html

おはようございます、モクレンHP制作所担当です。今日はシルクロードの要衝であった「楼蘭」が発見された日です。
今でこそシルクロードはユーラシア大陸の東西を結んだ交易路であった事が知られていますが、当時は線を結ぶ点が見つかっていなかったのですね。その都も湖が干上がると同じくして国力が衰えたというのは、やはり人間の生活に如何に水が重要かという事を物語っていると考えられます。

もし、ロプノールが干上がっていなかったら、今も楼蘭は重要拠点として栄えていたのでしょうか。恐らくそうだと思います。ただ行き交うものがラクダではなく車になっていたかもしれませんが。しかし、絹を運ぶのに海路ではなくて陸路を使っていたのはいまいち腑に落ちませんが、砂漠にオアシスが存在していたので陸路も選択肢の一つになっていたのだと考えられます。

ヘディンが発見した楼蘭のおかげで、今のシルクロードがつながり、その名前が全世界に知れ渡る様になったのも探検家ヘディンのおかげですね。
それでは本日も宜しくお願いします!!!

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