1612年(慶長17年)のこの日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われた。
https://zatsuneta.com/archives/104133.html
決闘の日、武蔵は約束の時間を1刻(約2時間)遅れて小船から姿を現した。待ち疲れ、いらだった小次郎は刀を抜き放ち、鞘を海中に投げ捨てた。勝負は一瞬で、武蔵の櫂(かい)の木刀が小次郎の額に当たり、武蔵が勝利したという。
山口県下関市にある巌流島は、正式な島の名前を船島(ふなしま)といい、現在は無人島で、公園として整備され、決闘シーンを主題とした武蔵と小次郎の銅像が置かれている。小次郎が剣術の一派である「巌流」または「岩流」を名乗ったことから巌流島と呼ばれるようになった。
みなさま、おはようございます。モクレンHP制作所担当です。今日は、かの有名な巌流島の決闘の日なのだそうです。浪人の武蔵が勝利したことで有名なこの逸話は、毎度第三者が見ていたのか不思議なのですが、本人たちが言うのも変だなぁと思っております。ちょっとググってみたところ、やはり見届け人が居たようですが、決闘の様子は諸説あるようで、なかなか微妙な感じを受けました。興味のある方は「巌流島の決闘」で検索していただければ色々と噂話(?)が出てきます。中でも武蔵を卑怯者呼ばわりしていた話は考えさせられるものがありましたが、晩年五輪書を書いた武蔵は、やっぱりすごい剣豪だったと思うのです。
それでは本日もよろしくお願いいたします!!!
コメント