おはようございます、今日は百人一首の日です。

1235年(文暦2年)のこの日、公家・歌人の藤原定家(1162~1241年)によって『小倉百人一首』が完成された。
藤原定家の日記『明月記』の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首の色紙が、京都・嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられている。
この色紙は障子の装飾のために作成されたもので、当時はこの百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。その後、小倉山の山荘で和歌百首を選んだということから「小倉百人一首」の名称が定着した。
( 出典 https://zatsuneta.com/archives/105272.html )

おはようございます、モクレンHP制作所担当です。今日は小倉百人一首の日です。どうやら、もともとは今のカルタ形式ではなく、障子に貼られた百首の色紙が起源のようですね。カルタの形式になったのは江戸時代(Wikipediaによる)らしく、庶民の遊戯のものとなったそうです。うちにも昔百人一首がありましたが、カルタとして遊ぶよりも坊主めくりとして遊んだ記憶の方が強いです。個人的には蝉丸法師の歌が好きでした。というか印象に強く残っているのですね。逢坂の関のくだりが特に強く印象に残っています。
それでは本日もよろしくお願いいたします!!!

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